エコな江戸時代~「大奥のウンチ」
江戸時代のエコはどんなものだったのか~
江戸時代は最も有機栽培が盛ん。 そう”人間のウンチ”は循環型食生活に欠かせない代物だった。 現代では鶏糞などの家畜の糞を使用で”有機”としているが、本当の有機なら”人糞”なのだ。 現代も同じ。
土を肥やす栄養面では、食が偏る家畜にはたいした物は無し。やはり何でも良く食べる人間の糞ほど良い物はない。
昔、水飲み百姓とよく言ったのは、精の付く食べ物を食べていない貧乏な百姓は、自分の家族のウンチをいくら畑に撒いても”土が肥えない”=”良い物が出来ない”
ことから、農作物にも良い値段が付かなかった為、いつまでも貧乏から抜け出せない悪循環のことを言った。
しかし、その時代にも無理な環境でも先行投資をして”儲けた百姓”もいた。
”高いがうまい!と言われる野菜を作る為”良い人糞を購入するのだ。
狙いは大名など藩重役方の家庭から出る”糞”だ。 もっとも最高な金で入手できる糞では”江戸城大奥の糞”だった。 もっとも、糞集めをして農家に売り払う”肥え屋”は江戸時代に無くてはならない存在で、その糞相場は江戸の台所事情を担っていたと言っても過言ではなかった。
農家 「最近のお大名の肥えは(糞は)芳しくにゃ~な?」
肥え屋「んなこたぁ~ね~べよ!ちゃんとした肥え~入れといたで~」
農家 「なこたぁ~わかっちょる~っ。 じゃ~なしに、おっきな声では言えんげんど、
お大名も食いもんが~その~良くないんじゃ~?」
肥え屋「お~それよそれ。どこのお大名も内情は火の車らしい~でぇ~」
農家 「なら~食いもんも~悪かろ~?なんでまた~?」
肥え屋「なんでも~将軍様お声掛りの緊縮やらなんやらで、扶持米を手形に金を借り
込んで、にっちもさっちもいかんらしいな~w」
農家 「じゃ~その~扶持米で金を貸してるとこは~儲かっとるな~」
肥え屋「お~よ、今じゃ~蔵前通りなんて言われてるとこにゃ~べろん!と米蔵が並
んでよ~殿様も頭を下げるお大尽様もいるでよ~」
農家 「ふ~ん、なら~大奥の肥えはいくらかいの~?」
肥え屋「そりゃ~大奥のは高い~w おべべと喰いもんにゃ~不自由無しじゃ~」
こんな具合に「大奥のウンチ」は高値取引されていた~
昨今では、有機栽培や無農薬栽培などあらゆる情報が良いも悪いも蔓延っている。
情報を鵜呑みにし、突き進むのも悪くは無い。しかし、肝心なところを忘れがちだ。
本来、このような栽培農家が自分の住んでいる地域からなるべく近くにあるべき物。
それが「何々産の何々栽培大根だ」では本末転倒なのだ。
なぜ近くないといけないのか?
例えば隣の人が「おいしくて体に良い大根を作ったの!食べて」ともらったとする、、
その辺じゃ~買えない位おいしかったとする、、、で褒める。
「本当においしかった~^^」言ったとする。
隣の人は「こんなに褒められた、、今度はもっと作ろう」と、気持ちが動くはず。
都心部や都会に住むと分かり難い。しかし、気持ちの原点は同じはず。
どんな野菜も米も、江戸時代から変わらないものがある。
日本人には無くてはならない 「旬」 「食べる時期」 「作る動機」 だ。
1年中いつでも手に入る野菜が、昨今では沢山ある! 有るからといっていつでも、
同じものを食べていたらどうなるだろう?
病気になる。のは当たり前だろう。それより、先の「隣の大根」を作った人はどんな気持ちだろう。「見た目が立派な大根が150円出せばどこでも買える、作ること無いw。
きっと、お隣さんはお世辞でおいしいと言ってたんだ」と思うはずだ。
冗談は抜きで、これを書いている私自信は「隣の人が作る大根をおいしく頂く為に、来期まで大根は買って食べない」これくらいの想いがお隣さんに伝わることで、俄然おいしい大根を必ず作る!という動機も芽生えるものだ。
大根が無けりゃ~死ぬわけじゃない。病気になるわけじゃ~ない。なんでもない。
サンマが食えない訳じゃない、刺身のツマも大根じゃなくてもいい。
そう、コレ!我慢できないのを「餓鬼」と言う。”コレ”が無くちゃ~喰えない人だ。
人生が良くなることは有っても、悪くなることは有る。
なぜ?100円や200円の大根を年中買っている姿をお隣さんに平気では見せられない!「これ安かったのよ~大きくていい大根でしょ」言ってるのと同じことだ。
平気じゃないから、、「病気になる」「病は気から」。想えばこんな人身不安が現代に蔓延しているのは、こんな身近な、人としての矜持を忘れているからではないだろうか。